『東京探索027』新宿エリア③
商業地としての発展と伊勢丹新宿店
新宿は江戸時代から交通の要衝であったわけで、商業地として発展する素地を持っていましたが、新宿が高度商業地として本格的に発展したのは1923(大正12)年の関東大震災後のことでした。
理由としてあげられるのは、新宿駅周辺は銀座や浅草などの下町に比べて地盤が強く震災被害が軽微であったこと、震災後に人口が激増した阿佐ヶ谷、荻窪など東京西郊の住宅地から新宿へは中央線一本で到達できたこと、京王線・小田急線も開通してやはり沿線の人口も増えていたこと等で、これらによって、新宿は百貨店や映画館などが次々に建設される高度商業地となりました。
三越百貨店は、1914(大正3)年に日本橋に本店を開店していましたが、関東大震災直後に新宿追分交番角に「三越マーケット」を開店、その後、新宿駅前(後に三越系の食品店「二幸」、現在は「新宿アルタ」となっている敷地)への移転を経て、1930(昭和5)年に新宿大通りに地上8階、地下3階、鉄筋コンクリート造の三越新宿店が開店しました(2005年からは新宿三越アルコット店として営業、2012年に閉店)。
1926(大正15)年には「ほてい屋」が当時の追分交差点(現在の新宿三丁目交差点)の角地に開業し、一時は東京でも屈指の業容でしたが、経営者に不幸があってから経営が傾きました。さらに、味のデパート三福(現在の京王フレンテ新宿3丁目)など競合店が増えると廉売に走ってしまい、一層業績不振に陥っていました。
一方、伊勢丹は、1886(明治19)年から現在の千代田区外神田一丁目5番において「伊勢屋丹治呉服店」として営業していましたが、関東大震災で店舗が消失してしまい、移転先を吟味の末、新宿進出を決めました。ほてい屋を取り囲むような敷地に建物を建てて、1933(昭和8)年に伊勢丹新宿店を開店しました。そして、2年後の1935(昭和10)年にはほてい屋を買収、翌年には旧ほてい屋部分と建物を一体化する工事を行ったのです。伊勢丹の建物は当初からほてい屋と一体化する可能性を見越して、ほてい屋と階高を合わせて設計・施工されたようです。新宿がまだ東京のはずれであった当事から、この地が一等地になると見抜いた丹治の才覚には脱帽します。
ゴシック、アールデコの要素を取り入れた現在の伊勢丹新宿店の外壁を良く見ると、周囲と比べて柱割りスパンが狭くなった部分があり、その左右でデザインが異なっています。これが競争相手を買収し、統合させた形跡なのです。確かに、地下1階フロアも、2007(平成19)年6月に大改装される前は、中央部に階段5段ほどの段差がありましたね。
なお、この建物は2004(平成16)年に東京都の「都選定歴史的建造物」になっています。大正のモボ・モガの時代から文化を発信し続けてきた新宿伊勢丹ですが、新宿三越を吸収するまでに成長し、わが国を代表する百貨店の一つになっていることは疑う余地がありません。