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2018.04.17

『アジア探索018~シンガポール編④』李光耀(Lee Kuan Yew)の50年にわたる指導と「マーライオン」

『アジア探索018~シンガポール編④』

李光耀の50年にわたる指導と「マーライオン」

トーマス・スタンフォード・ラッフルズ卿が、「シンガポール建設の父であるとすれば、「シンガポール建国の父」はいうまでもなく、李光耀(リー・クワンユー)氏です。

現在、みなさんが持つシンガポールに対するイメージは、どのようなものでしょうか?

ゴミ一つ無い「清潔な街」、緑豊かな「美しい南国」、国ぐるみで都市を経営している「合理性・一貫性のある政策」、安定した経済を基盤とした、ヒト・モノ・カネが集まる「アジアの金融センター」・・・これらは全て、李氏によってその基礎が作られたと行っても過言ではないでしょう。

今でこそ、ASEAN諸国やインド・中国等において、アジアの先進国として日本と肩を並べるほどの存在感を示しているシンガポールですが、1965年に、シンガポールが、マレーシアから「切り離される」ように独立させられた時の李氏の演説は、今でも語り草になっています。このとき、「資源も水も食糧もない状態」におかれた祖国の将来を憂い、李氏は絶望の淵にいたと言われています。

しかし、中国の「客家」第4世代のこのリーダーは偉大でした。その逆境をばねにして、いかにしてこの小国が生き残れるかを考え、実行したのです。英国ケンブリッジ大に留学し、法律を学んで主席で卒業した彼は、以下のようないくつかの重要な戦略を考えました。

1) 街を徹底的に美しくして、観光客やMICEによる来訪者を増やすこと

2) 優秀な政治家・官僚を登用できる仕組みと、教育水準を高めること、英語を公用語とすること

3) 低い法人税率や会社の設立の容易さにより、多くの企業を誘致すること

などでしょう。

李氏はかねがね「西洋式の民主主義よりも、一党独裁の方がより効率的で東アジアの社会によりよく適合している」と主張していたようです。東アジアの社会は、家族主義的で教育志向が強く集団主義的であるとして、これを「アジア的価値観」と呼んでいたのですが、こうした考え方はかつて、論争を呼びました。その裏には、客家出身である李氏の中に、華人至上主義が垣間見えます。

観光資源がないことも大きな課題でしたが、あの「マーライオン像」は、何とかして観光資源を作りたかったシンガポール観光局が1964年に創作したものだったのです。このことは書籍やウェブ上のブログ等で紹介されていますので、詳しくはそれらに譲るとして、次回以降も、シンガポールがいかに現在の地位を築いたかを、探索していきたいと思います。

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