『アジア探索043~ソウル編④』
明洞のカフェでコーヒーを
アジア探索、ソウルシリーズも第4回、明洞(ミョンドン)界隈を探索します。
明洞はエリアを指す地名で、ソウル交通公社(地下鉄)2号線の乙支路入口駅と、同4号線の明洞駅に挟まれた南北約800m、東西約700m程度の地域を指すようですが、ときにはロッテホテル・ロッテ百貨店がある小公洞の一部も含まれるようです。
現在のソウルは漢江(ハンガン)を境に江北(カンボク)・江南(カンナム)と分かれていますが、朝鮮王朝の時代には、旧市街地の範囲が清渓川(チョンゲチョン)を境に北村(プッチョン)、南村(ナムチョン)に分かれていて、北村には宮廷に勤める役人や商人たちが集まり、南村には庶民が暮らしていたそうで、明洞はその清渓川のすぐ南に位置します。
日本統治時代に明洞は「明治町」と呼ばれ、日本人居住区として、また、商業の中心として発展し、大通りには路面電車が走り、1920年代に明洞はソウル随一の繁華街になりました。1930年代には三越百貨店(現:新世界百貨店)をはじめデパートが5店立地、現存する明洞芸術劇場もこの時期に建てられました。大韓民国成立後、朝鮮戦争によって明洞も大きな被害を受けましたが、1956年に策定された再開発計画に基づいて整備され、1970年代には韓国の金融・経済の中心地となりました。
現在では、江南エリアや漢江の中洲である汝矣(ヨイド)島の開発が進んだ結果、金融・経済の機能は分散されて、明洞は商業施設、ホテルが集まる高度商業地域としての性格が強まっているように見えます。ZARA,Forever21, H&M, ユニクロといったファストファッションが集中しているほか、コスメティックス店が集中した通りもあり、アディダス、デサント、ニューバランスなどスポーツブランドのお店も目立ちます。
バラエティに富んだ飲食店が並び、老舗もあります。70年代には明洞のカフェでコーヒーを飲むことが「おしゃれ」と認識されるようになったそうです。ポップな感じのお店が多い中、アンティーク家具を置いた落ち着いたカフェもありました。明洞は四半世紀前には「東京で言えば銀座のような場所」と言われていたようですが、最近は「渋谷のような場所」と言われています。これは、明洞自体が変化しているのとともに、渋谷の知名度が上がっていることを示しているのだと思います。