『東京探索034』 新宿エリア⑩
新宿新都心―50年前にTODの骨格を確立
新宿新都心が以前浄水場であったことを示す痕跡の一つが新宿中央公園にあります。公園内の「富士見台」に旧淀橋浄水場六角堂が保存されており、この当時は富士山を見ることができた高台も、浄水場を掘った土で造ったものです。また、新宿エルタワーの裏には、記念碑もあります。しかし、最も端的で明解な痕跡は、実は、新宿新都心のマスタープランそのものなのです。
新宿新都心の道路は一部が上下二層構造になっていますが、これにはいくつかの理由があります。まず、周辺の地形を見ると新宿駅あたりが最も高くて海抜40m程度、新宿中央公園東側の道路あたりでは海抜35m程度と約5mの高低差があります。次に、新宿西口地下広場の地盤レベルは海抜35m程度であること、さらには浄水場貯水池の底が周囲より7m低く、海抜28m程度であったことで、これらに着目した先人が、この高低差を利用してあえて道路を立体的に跨ぐ形にして交差点を作らないことを思いつき、実践したものです。
新都心に多くの超高層ビルが建って、人と車の発生集中交通量が増大することを予見したプランナーたちは、浄水場跡地を横断して東西に走り、新宿西口地下広場までを直線で結ぶ「4号街路」を計画し、そのうち西口地下広場から新宿三井ビル・京王プラザホテルに至る500mほどの区間を地上道路と地下道路の二層式としたのです。これにより、新宿中央公園の前から西口地下広場のタクシー乗り場、公共駐車場入口に向かう車両は、ほとんど信号待ち無しでアクセスできるようになりました。歩道も二層構造となったことで、歩行者の交通量も分散でき、新宿駅西口から毎朝大量に吐き出されてくる通勤者も、渋滞なく歩けています。まさにプランナーの叡智といえます。
昨今、TOD(公共交通指向型/主導型の開発)という概念が内外で注目されていますが、新宿新都心は、50年前にすでにTODの骨格を確立していたのです。まさに、TODの草分けのひとつであると言ってよいでしょう。