『アジア探索002~上海編②』
陸家嘴金融貿易区のマスタープラン
「陸家嘴金融貿易区」のマスタープランは、上海市のダイナミックな経済発展を見越して、1992年に国際コンペを通じて策定されました。当初のコンペでは、英国のサー・リチャード・ロジャースが環状に連携する高層ビル群を提案して一等に当選したのですが、その後に市長に手紙を出し、「これはあくまでもコンセプチュアルな案であり実現性に乏しい」として設計を辞退したというエピソードが伝えられています。
実際にマスタープランを作成したのは米国の設計事務所ですが、自動車の急激な増加を予測できなかったのか、直近で浦西と結ばれる道路が延安トンネル1本しかなく、90年代後半に早くも交通処理的に破綻し、一般車のトンネル通行を時間帯によって制限せざるを得ない事態に追い込まれました。その後、次第にトンネルや橋が増やされて渋滞は緩和されてきましたが、専門家の間では「マスタープランの失敗例」とさえ言われています。
2000年には地下鉄2号線が開通し、陸家嘴駅が1998年竣工の金茂大厦のすぐそばに建設されました。しかし、地下空間利用のマスタープランができていなかったため、この建物は地下鉄と接続されませんでした。2008年竣工の上海環球金融中心においては、「IFCモール」が地下鉄と直結し、これを介して上海中心も地下鉄と結ばれました。地上の歩行者ネットワークの改良も、森ビルの呼びかけによってようやく動き出し、環状のデッキができるなど次第に整備されつつあります。