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2018.11.20

『東京探索020』日本橋エリア④ 東京市区改正事業と百貨店の誕生(三越・白木屋・髙島屋)

『東京探索020』日本橋エリア④

東京市区改正と百貨店の誕生(三越・白木屋・髙島屋)

明治期に入ると、「東京市区の営業、衛生、防火及び通運等永久の利便を図る」ことを目的とする「市区改正」が政策課題となりましたが、なかなか実現しませんでした。明治後期になって、ようやく路面電車を敷設するための都心部の道路拡幅、上水道の整備、日比谷公園の新設などが実現しました。

もうひとつ、英国製のライオン像2体が横たわる日本橋三越本館も、市区改正の産物であるといえます。市区改正事業で現在の中央通りの西側が10m拡幅され、多くの建物が立ち退きを余儀なくされた中、1914年(大正3年)にルネサンス様式5階建の三越本館(当時の呼び名は「新館」)が竣工したのです。日本初のエスカレーターが設置され、新しい文化的生活にあこがれる中間層の拠点となりました。越後屋、三井グループの流れを汲み、「デパートメントストア宣言」を発した百貨店は、市民に新しい生活スタイルを提案する役割を持っていたのです。

一方で、やはり江戸三大呉服店のひとつであった白木屋(しろきや)も、1903年(明治36年)101日に和洋折衷の3階建ての店舗として新装開業していました。はじめて「陳列式」の販売方式を採用したうえ、遊具を備えて蕎麦屋、寿司屋なども出店する「遊戯室」を設けたそうで、総合型の百貨店の先駆けと言われています。その後、東急百貨店となりましたが1999年に閉店してしまい、今では跡地にCOREDO日本橋(日本橋一丁目三井ビルディング)が建っています。

髙島屋は江戸時代末期の1831年に京都で創業、東京に進出を果たして日本橋に店舗を構えたのは1933年(昭和8年)のことでした。日本発の全館冷暖房を採用し、昭和初期から現存する百貨店建築の中では最大級の規模で、内外装とも当初の姿が良好に保っています。

「東洋趣味を基調とする現代趣味の創案」というテーマの設計コンペで当選した高橋貞太郎という建築家による設計です。帝国ホテル新本館の設計者ですね。曲線的な隅部をもつ重厚な西欧モダニズム建築を基調としているものの、日本の伝統建築のモチーフが随所に見られます。よく見ると、旗が掲げられたバルコニーの下には、寺社建築で軒下に見られる肘木という組物があり、さらにその横、3連アーチ上部にも、やはり寺社建築に見られる蟇股(かえるまた)が装飾として使われています。

案内嬢が手動で操作する旧式のエレベーターも、開業当時から変わっていません。日本橋三越にも2基残されていますが、日本橋を代表する名物のひとつですね。

この髙島屋が「日本橋二丁目地区第一種市街地再開発事業」によって、本館が慎重に保存されつつ再生されたわけですが、これについては後ほど詳しく紹介させていただきます。

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