『東京探索021』日本橋エリア⑤
日本橋三井タワー~文化財の保護と開発の両立
日本橋エリアの金融・業務機能に目を向けましょう。1896年(明治29年)には、日本橋本石町(にほんばしほんごくちょう)の金座(金貨鋳造・鑑定・検印を行った場所)の跡地に日本銀行本店が建設されました。辰野金吾がベルギー国立銀行を参考に設計したもので、1974年に国の重要文化財に指定されています。ネオ・バロック様式の本体に壁面にはルネサンス様式の意匠を取り入れており、正面玄関の上部には、六個の千両箱を踏まえて後足で立って咆えている二匹の雄ライオンにロゴマークを抱えた青銅製の紋章がついています。
野村證券本店(日本橋野村ビルディング)は、1930年(昭和5年)に日本橋のたもと、当時の東京府東京市日本橋区通一丁目1番地に建設されました。三層構成を踏襲しながら柱型をなくし、東洋的なエッセンスを取り入れたもので、現存する戦前建築の中で異彩を放っています。その後、1949年(昭和24年)に東京証券取引所が設置されると、周辺にも銀行・証券会社・保険会社等が次々に本社ビルなどを建設しました。
中でも、1929年に建てられた三井本館は、内装にはイタリア大理石、外壁には花崗岩(茨城県笠間市の稲田石)がふんだんに使われた、アメリカン・ボザール・スタイルの新古典主義様式をとる本格的なオフィスビル。外壁のコリント式列柱、吹き抜け大空間のドリス式円柱群などを持っており、日本橋を代表する事務所建築といえるでしょう。地上7階・地下2階、建築面積4,559㎡。日本橋地区における震災復興のシンボルとすべく、改修も可能であった鉄骨造の旧「本館」を壊してあえて関東大震災の2倍の地震にも耐える強度で建造されたといいます。
この「三井本館」や「三井二号館」などが建てられていた街区の再開発によって建てられたのが、2005年竣工の日本橋三井タワーです。それまでの建物はいずれも31mの絶対高さ制限以内であったため、容積率を上限まで使い切っていませんでした。その敷地の上に、地上39階、高さ約195mの超高層ビルが建ったのです。高層部は最上級の賃貸オフィスで、そのうち最も上部の30階から38階には「マンダリンオリエンタルホテル東京」が入居しています。低層部には「千疋屋総本店」をはじめとした店舗やホテルの宴会場、レストランなどがあり、保存建築部分の7階は三井記念美術館になっています。
三井不動産のウェブサイトなどを見ると、文化庁から「三井本館」の重要文化財指定が打診された際に、この建物の価値は十分認識していながら、同時に日本橋街区全体活性化をテーマとする再開発計画の重要性を十分に認識していたため「保存」と「開発」の両立が可能か悩まれていたこと、その中から、市民の財産でもある文化財を保護して一部を市民の用に供することは、公開空地を整備して公共の用に供することと同等の意義があるのではないかという論理を背景に、「重要文化財特別型特定街区」という制度ができて、本件がその適用第1号となったことなどが読み取れます。
最先端オフィス機能と高級ホテル機能を両立した複合施設、さらに歴史的建造物を一体として設計・施工することは容易ではなかったはずです。アトリウムの天井には保存されていた旧「三井二号館」のステンドグラスが修復して飾られ、「本館」を鑑賞するスペースとして設けられた広場には、コリント様式の列柱を高さ25mのガラス・エッチングで表現した「ヒストリカルウォール」が設置されました。名建築保存と街区活性化の可能性を大きく拡げた制度確立への貢献が評価され、このプロジェクトをめぐる一連の活動は「日本建築学会賞」業績賞の栄誉に輝いています。
マンダリンオリエンタルホテル東京は、世界初の「6つ星」の栄誉を得ました。宴会場は日本橋三井タワーの3階にメインボールルームがあるのですが、実は三井本館に連絡通路で連結されていて、こちらにも4つの宴会場が設置されています。昭和初期の建物の一角、前室を供えた格調高い空間で披露宴などのパーティを開くのも一興ですね。