『アジア探索040~ソウル編①』
4年ぶりにソウルへ
10連休の前半、韓国のソウル市に4泊5日で行ってきました。
今回の旅の主な目的は、前回の訪韓から4年経って街がどのように変わったか、特に、「清渓川の再生」、「ソウル路7017」、「東大門デザインプラザ」など注目されているプロジェクトの成果が、実際どのように市民に使われているかを見ることです。文在寅政権の下、国対国の関係は少なからず複雑な状況になっていますが、「日韓両国は好きでも嫌いでも背を向けられない隣国だ」と言われている中、実際の人々の様子を眼で確かめたいとの思いもありました。
ソウルは600年を超える歴史を持っています。4世紀頃百済が支配していた時代には「漢城(ハンソン)」と呼ばれ、7世紀に三国を統一した新羅の時代には、漢江(ハンガン)の北側の土地という意味の「漢陽(ハニャン)」と呼ばれていました。高句麗に支配された時代には首都平壌に対して「南京」と呼ばれ、1392年に成立した朝鮮王朝がこの地に都を置いたとき、再び「漢城」と改められました。そして、日露戦争後に日本が「保護国」として韓国を統治していた時代には「京城(日本語でケイジョウ)」と呼ばれていました。
ソウルと呼ばれるようになったのは1948年の大韓民国建国時で、古代新羅語で「都」を意味する「ソラボル」から「ソウル」と命名したそうです。1446年、朝鮮王朝第4代国王の世宗(セジョン)は、国民が漢字を使わずに自分たちの言葉を表記できるようにハングル文字を定めました。「ソウル」と命名したのもこれと同様の理由で、「韓族」が中国や日本とは異なる独自の歴史や文化を持っていることをアピールしたかったのでしょう。民族の強い意思を感じます。
ただし、「漢江の奇跡」で有名な漢江、観光資源である「漢陽都城(ハニャンドソン)」などの名称には、未だに「漢陽」・「漢城」の名残を見出せますね。
今回からしばらく、ソウルを探索したいと思いますので、お付き合いください。