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2020.01.08

『東京探索055』渋谷エリア⑨ 東急文化会館と建築家坂倉準三

『東京探索055』渋谷エリア⑨

東急文化会館と坂倉準三

以前ご紹介したとおり、五島慶太氏が玉電ビルを買収して地下鉄銀座線渋谷駅を含む複合ビルへと改造したのは1954(昭和29)年のことでした。ル・コルビュジエに師事した建築家・坂倉準三氏の設計によるこのビルは、開業当時は「東急会館」という複合ビルで、上層階に「東横ホール」や「大食堂」を持っていました。このビルが後に、東急百貨店東横店西館になります。

五島氏は坂倉氏を重用したようで、ともに渋谷駅周辺の将来構想「渋谷再開発計画66」を作成しています。これは、すり鉢状の谷である渋谷に歩行者デッキをめぐらせ、随所に円筒形の上下動線を持つ「コア」を造るなど夢のような未来都市の構想で、当時のスケッチが残っています。 SHIBUYA109の目印である円筒形のコアは、実は「渋谷再開発計画66」へのオマージュだという説もあります。

2年後の1956(昭和31)年、五島氏・坂倉氏のコンビは東急文化会館を完成させています。渋谷駅東口のバス乗り場等をはさんだ向かい側に位置する地上8階/地下1階、延床面積約30,000㎡のこの複合文化施設の上層階には「渋谷パンテオン」を始めとする映画館4館、結婚式場「東急ゴールデンホール」などがありました。ひときわ目立つ屋上の球形ドームの内部は「五島プラネタリウム」でした。直径20mの半球状のスクリーン、453席の座席を持ち、当時の宇宙ブームを反映して、連日、行列が階段の1階まで伸びていたそうです。

この東急文化会館は、公道を跨いで渋谷駅と歩行者連絡通路で接続されていました。今や再開発ビルなど随所にこのような歩行者デッキや連絡通路が見られますが、当時は斬新だったようです。そして、この東急文化会館が惜しまれつつも取り壊された跡地にできたのが、次回ご紹介する渋谷ヒカリエです。

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