ブログBlog

2019.12.17

『東京探索053』渋谷エリア⑦ 十字型構造の渋谷駅

『東京探索053』渋谷エリア⑦
十字型の駅構造

少し歴史を遡ります。渋谷駅が開業したのは1885(明治18)年で、山手線が環状になる前のことです。渋谷駅は赤羽~品川を結ぶ日本鉄道(国鉄の前身)品川線の貨物主体の小さな駅で、周辺は雑木林の中に街道沿いの集落がある程度で、開業1年間の平均乗降客数は34人しかいなかったそうです。しかし、その後、路面電車、私鉄、地下鉄が相次いで渋谷に乗り入れ、東京南西部の巨大ターミナルへと発展していきます。

1907(明治40)年に道玄坂を下りて渋谷駅に乗り入れた路面電車の玉電(玉川電気鉄道)は、1923(大正12)年、現在のハチ公前広場の位置で宮益坂を下りてくる市電青山線と繋がりました。1927(昭和2)年には東京横浜電鉄(現在の東急)東横線、1933(昭和8)年に帝都電鉄渋谷線(現在の京王井の頭線)、1938(昭和13)年には東京高速鉄道新橋~渋谷線(現在の東京メトロ銀座線)が渋谷に乗り入れました。玉電は1969(昭和44)年に廃線となりますが、1977(昭和52)年に東急新玉川線(現在の田園都市線)として生まれ変わり、1978(昭和53)年には地下鉄半蔵門線と直通運転を開始します。

そして2009(平成21)年には東京メトロ副都心線が開通し、さらに2013(平成25)年には地下化された東急東横線と直通運転を開始、この東急東横線の地下化が、現在進んでいる「渋谷大改造」の契機となったのです。

ところで、渋谷駅は、新宿駅や池袋駅と同様、 JR山手線と乗換駅を形成するハブ駅ですが、その駅構造は、新宿や池袋とは異なっています。新宿駅、池袋駅などにおいて私鉄は、通常、線路を大きくカーブさせ、山手線と平行にプラットフォームを作っています。渋谷駅でも、東急東横線は地下化される前からこれらと同じような形態でした。ところが、渋谷駅は、「十字型の駅構造」になっているのです。

京王井の頭線渋谷駅は、おそらく山手線と平行にプラットフォームを作れる余地が無かったのでしょう。道玄坂に平行に駅を作り、現在は、細長い渋谷マークシティに内包される形になっています。東京メトロ銀座線は宮益坂の近くで地上に顔を出して、渋谷駅付近では地上3階レベルを走り、やはり宮益坂に平行にプラットフォームを作っています。

そして、銀座線のプラットフォームが3階に作られた背景には、東急グループの総帥、当時複数あった地下鉄運営会社の一つ、東京高速鉄道を設立した五島慶太氏の思いが込められているようです。五島氏は、銀座線渋谷駅建設の際、他社線とのスムーズな乗換えができるようにJR山手線上空に跨る駅を作ることにこだわったようで、剛腕を発揮して玉川電気鉄道の買収に成功、玉電の本社ビルを改築して3階レベルに渋谷駅を作りました。こうして渋谷駅は立体的で十字型の駅構造を持つことになったのです。

銀座線渋谷駅を内包するビルが、後に東急百貨店東横店西館となります。銀座線渋谷駅はこの年末、西館取壊しと渋谷スクランブルスクエア第二期の工事に備えて130m表参道駅寄りに引っ越します。しかし、ビルの中を通り抜けて渋谷マークシティ内の車庫に入る線路は残るので、渋谷大改造が進んでも、十字型の駅構造は残るということですね。

PAGE TOP