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2018.11.13

『東京探索019』日本橋エリア③「麒麟の翼」と日本橋で育まれた江戸文化

『東京探索019』日本橋エリア③

「麒麟の翼」と日本橋で育まれた江戸文化

日本橋のエリアの中心は、何と言っても「日本橋」という名前の橋です。木造だった「日本橋」は何度も焼失しましたが、日露戦争後の1906年(明治39年)、東京市にふさわしい記念碑として石橋に改築することが計画されました。近代的・西欧的な様式を基調とし、明治の東京にふさわしい記念碑性と江戸の歴史的象徴としての性格を併せ持つことが目標に掲げられ、結果として、橋梁本体は花崗岩を使った堂々たる「ルネッサンス式と称すべきもの」でデザインされ、「獅子」や「麒麟」など江戸的モチーフの彫像によって飾られることになったと言われています。1911年(明治44年)についにこの石造アーチ橋が完成して現在に至っており、1974年に国の重要文化財に指定されています。

この橋の四隅にある東京都の紋章を抱えた獅子、中央両側の麒麟の像は、彫刻家の渡辺長男(おさお)氏、岡崎雪聲(せっせい)氏によるものだそうです。麒麟は、古来聖人が現れる吉祥を示す聖獣で、明治の治世を讃えるように道路元標を示す橋の中心柱を飾っています。その中心柱は、パリなどに見られるオベリスクのような形ですが、江戸時代の一里塚に植えられた松と榎の葉をモチーフにしたレリーフで飾られています。

この翼のある麒麟像は、映画化もされた東野圭吾氏の小説「麒麟の翼」で有名になりました。同氏の小説のうち、加賀恭一郎警部補が活躍するシリーズでは、人形町など日本橋エリアがしばしば登場します。加賀警部補が日本橋署勤務にこだわる理由は、「祈りの幕が下りる時」で明らかにされていますね。

ところで、江戸時代の日本橋は、商業・金融の中心であっただけでなく、文化の中心でもあったようです。絵草紙や浮世絵などの印刷物などが町人によって発達しました。五街道の起点である日本橋において、全国からきた職人の技術が触れ合って融合発展したということなのでしょうか。江戸歌舞伎も、中橋、今の日本橋と京橋の中間あたりが発祥の地と言われています。その後、歌舞伎や人形浄瑠璃などの上演は今の人形町界隈へ移転させられ、堺町、葦屋町、木挽町の3町に限られたとのことです。日本橋人形町の名前の由来は、浄瑠璃に人形職人が多かったからだそうです。TVドラマ「新参者」で阿部寛さんが扮する加賀警部補がいつも買いそびれていた人形焼は、その後何か名物を作ろうということで明治時代に考案されたもののようですね。

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