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2018.10.03

『アジア探索030~台湾編⑦』臺中駅周辺と「宮原眼科」

『アジア探索030~台湾編⑦』

臺中駅周辺と「宮原眼科」

臺中市は日本統治時代には、「緑川」が鴨川にも劣らないと人々に愛でられ、「小京都」と呼ばれたそうです。その後、緑川は都市化のため大部分覆蓋されてしまいましたが、2018年春に緑深い散策路として再生されました。

在来線(臺鉄)の臺中駅は、旧市街地の中心近くにあります。日本統治時代に建設されたレトロな赤レンガの建物を今なお残しており、一見の価値があると思います。

また、臺鉄臺中駅の裏側にある「20号倉庫」は、昔の駅倉庫を利用して作られたアートスペースで、ギャラリーの他に、カフェやDIY教室などもあり、小劇団のパフォーマンスも楽しめるとのことで、やはり足を運んでみたい場所です。臺中駅周辺は、日本統治時代の建物がいくつか残っているエリアですが、その中の一つが、「宮原眼科」です。

1927年、鹿児島県出身の宮原武熊医師がこの地に「宮原眼科医院」を開設して診療活動をしていましたが、戦後日本へ帰国してしまい、その後、その赤レンガの建物は「臺中市衛生院」として再利用されていました。しかし、その衛生院も閉鎖されて数十年間放置状態でいたところ、1999年の921地震やその後の台風によって建物は旧廃同然になってしまいましした。さらに、新しい商業地区が郊外にできたことで、周辺の地域自体も衰退していました。

一方、パイナップルケーキ「土鳳梨酥」が好評を博し、既に臺中市内に個性的な4つの店舗を持っていた「日出グループ」は、この「宮原眼科」の建物に目をつけて、これをリノベーションして5つめの店舗とすることを思いついたのです。

建物の正面入口を入るとチョコブース、その奥には日出グループのスイーツが並び、建物左側の回廊には乳飲料、アイスクリームを売るコーナーがあります。2階は臺湾料理レストランになっていて、医院の要素は全くないのですが、それでもネーミングとして「宮原眼科」をそのまま使っているところがポイントです。

赤レンガ2階建て建物の外装は内部から補強し、木造だった構造体を新たな鉄骨造で組み直し、使わなくなった木造の部材を書庫や商品陳列棚として再利用しています。商品そのものにも魅力があるのですが、そのような建物内部のしつらえを見るだけでもワクワクします。本はお店の主な装飾品であり、本の贈り物箱のデザインは私たちが図書館にいるように感じさせます。

20121月(民国100年)に開業したことから、玄関のドアノブが100の数字になっているなど、遊び心も満載です。入口の床にはアリが描かれていて、数えると10匹いました。アリガトウという日本語の駄洒落なのでしょうか?

たった1軒のスイーツショップが、臺中に立ち寄る観光客を増やし、人の流れを変えたと言われています。地震と台風で半壊状態であったこの建物を一部保存しながら再整備できた背景には、臺中市政府の相当な理解と協力があったそうです。また、民間団体である「臺中市中央区緑色光コミュニティ開発協会準備会」に学識経験者も参加して、臺中市の経済再興に向けて一致団結した結果だそうです。まさに、歴史的建築物保存再生の成功例といえるのでないでしょうか?

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