ブログBlog

2017.11.14

『東京探索007』代官山エリア②「同潤会代官山アパートメント」と「代官山アドレス」

『東京探索007』代官山エリア②

1923年の関東大震災の後、復興事業の一環として住宅建設を目的とした「同潤会」(現在のUR=都市再生機構のルーツ)が設立され、当時の日本の最先端の技術で鉄筋コンクリート造による耐震耐火構造の集合住宅を東京都内の16箇所に建設しました。1927年に代官山駅にもほど近い学校跡地に建設された「代官山アパートメント」もその一つです。

敷地面積19,700㎡(建ぺい率25%)の緑豊かな傾斜地に、2階建てと3階建てのモダニズム建築を意識したアパートメントが並び、当時としては画期的な水道、水洗トイレ、ガス設備、ダストシュートを持ち、小区内に児童遊園、娯楽室、共同浴場、食堂、理髪店などが備わっていました。世帯向け・単身者向け全36337戸は、先進的(ハイカラ)なライフスタイルを求めて、「文化人」など先進的な人々の人気を集め、賃借希望者の抽選倍率は9倍だったそうです。

その代官山アパートメントは、1950年代には入居者に払い下げられ、1970年頃からは住戸の増改築、事務所や店舗への転用が目立ち始めました。緑豊かな空間にレトロな建物が並ぶ環境が注目され、ファッショナブルな小店舗なども自然発生的にでてきて、ユニークで魅力的な空間を形成するまでになったのです。しかし、築50年が経過した70年代後半からは老朽化は如何ともし難く、全体的な建替えの議論が出てきました。

バブル経済とその崩壊の中、紆余曲折はありましたが、2000年に「代官山アドレス」として生まれ変わりました。500人を超える関係権利者が15年かかってようやく合意形成された組合施行の市街地再開発事業として、歴史に名を刻んでいます。

このエリアでひときわ高い中央の36階建て「The Tower」が目立ちますが、周囲には比較的低い住宅棟を配置して、周辺環境と馴染む工夫がなされています。また、集会室に再現された「代官山食堂」のインテリア、公園に残された共同浴場の壁画など、随所に住民たちの思い出が刻まれているのです。

PAGE TOP