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2018.12.11

『東京探索023』日本橋エリア⑦ 日本橋二丁目地区再開発~文化財と「都市再生特別地区」

『東京探索023』日本橋エリア⑦

日本橋二丁目地区再開発~文化財と「都市再生特別地区」

髙島屋日本橋店の話に戻りましょう。『東京探索017』(日本橋エリア①)でご紹介したとおり、「日本橋二丁目地区第一種市街地再開発事業」によって整備された「日本橋ガレリア」は、日本橋エリアに新たな回遊性を創り出しています。髙島屋日本橋店の屋上庭園の改修が来春完成すれば、緑豊かな空中回廊で3つのビルが空中でも連絡され、屋上庭園を中心としてオープンテラスでつながったエリアは約6,000㎡に及ぶそうです。

日本橋三井タワーは「重要文化財特別型特定街区」によって約1200%の容積率を確保していますが、この日本橋二丁目地区では、都市再生特別地区の都市計画によって、文化財保存の評価などの貢献と引き換えに3つの街区平均で1400%の容積率を確保しています。地下鉄銀座線の日本橋駅から髙島屋日本橋店(本館)及び新たにできた日本橋髙島屋SCに通じる部分の地下通路は、この再開発事業で駅前地下広場を持つ形に拡げられ、銀座線のプラットフォームもよく見ると一部拡がっていますが、これらも容積率加算の対象となっているとのことです。

「日本橋ガレリア」に面しては、新館の日本橋髙島屋SC側にカフェなどが並べられただけではなく、髙島屋日本橋店(本館)側にも、ブティック、花屋さん、カフェが増設されています。これによって、通りの両側に賑わいをもたらしています。

ところで、日本橋髙島屋が文化財に指定された理由をコンシェルジェに説明していただいた機会があったのですが、「西欧の歴史様式に日本的な要素を加味した高橋貞太郎による当初設計部分と、近代建築の手法を駆使した村野藤吾の設計による増築部分から成り立っており、その全体が一体不可分の建築作品として完成度が高く、わが国の百貨店建築を代表するものの一つとして重要である」というものでした。高橋貞太郎による当初設計部分は、中央通りから建物中央部のクラシックなエレベーターあたりまでで、その後ろは戦災復興に併せて、村野藤吾の設計により1952年から1965年にかけて4回の増築が行われていたのです。この増築の痕跡は、本館南側のファサード(建物の正面)を注意深く観察すると見て取れます。当初部分と増築部分とは明解なコントラストが見えますが、増築部分も段階的に行われていた痕跡があります。当時としては斬新だったガラスブロック外壁の上部、塗装の色が微妙に変わっているところがあるのですが、お分かりになるでしょうか。

本館屋上の北側には、曲線屋根を持つ塔屋がありますが、象の背中を模しているように見えます。実はこれは村野先生が、1950年から58年まで屋上にいて人気者だった子象「高子(たかこ)」にちなんでデザインしたものだったとのことです。「日本橋ガレリア」には、本館屋上の一部を覆う形でかけられたガラス屋根の一部が曲線状に盛り上がっていて、何かと思っていたのですが、これは村野先生へのオマージュだったのですね。

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