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2018.07.03

『東京探索011』虎ノ門エリア③ マッカーサー道路と立体道路制度

『東京探索011』虎ノ門エリア③

マッカーサー道路と立体道路制度

虎ノ門ヒルズは、東京都建設局が事業主体として施行した、「環状2号線新橋・虎ノ門地区第二種市街地再開発事業」の3棟の施設建築物の一つです。森ビル株式会社は、事業主体である東京都建設局になりかわって、虎ノ門ヒルズの設計や工事を発注・監修し、ビルを取得し、運営している、いわば事業のパートナーです。

20146月に華やかに虎ノ門ヒルズが開業し、ほぼ同時に「環状2号線」の新橋~虎ノ門の本線トンネル部分、地上の「新虎通り」の供用が開始されました。実は、この再開発事業を行おうという最初の動機は、「環状2号線」のこの区間を開通させたいという東京都職員達の思いでした。

環状2号線のうち新橋~虎ノ門の全長 1.4kmの区間は、戦後間もない1949年にGHQの指導により都市計画が決定された通称「マッカーサー道路」と呼ばれる幅員100mの道路でした。

しかし、これには、異説があります。その説によれば、この道路はもともと後藤新平伯爵らが関東大震災後の大正13年(1924年)に策定した「帝都復興計画」の中で100m道路として提案されたものだそうです。帝国議会の反対によって計画が廃止されましたが、その後昭和10年代末に内務省により復活し、太平洋戦争中には空襲による延焼を防ぐ防空帯が「建物疎開」によって確保。これを経て戦後、改めて幅員100mの環状2号線として都市計画決定されたとのことで、マッカーサー率いるGHQは計画に全く関係していないばかりか、むしろ反対の立場だったということです。

いずれにしても、昭和21年(1946年)に都市計画が決定されたこの道路は、昭和25年(1950年)に幅員40mに見直しされ、その後60年以上手付かずで、道路予定区域内には多くの権利者が都市計画による建築物の制限を受けていました。東京都としては、新橋駅や西新橋~虎ノ門のオフィス街にも近いこのエリアの地価が高く、用地買収に必要な予算確保が困難であったため、事業化したくてもできない状況が続いていたのです。

そのような中、平成元年(1989年)に、関係するいくつかの法改正によって「立体道路制度」ができました。「道路は天上天下道路である」というのが道路の基本原則の例外を可能にする制度で、一定の要件のもとで道路区域内に「重複利用区域」を地区計画で定め、この「重複利用区域」を建築敷地として建物を建設できるようにする制度です。東京都は、この「立体道路制度」を用いて用地買収費用を軽減することで、「環状2号線新橋~虎ノ門区間」を事業化できないか、と考えました。

次回は、具体的にどのように建物の計画が進んで行ったかをご紹介します。

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