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2018.06.19

『東京探索009』虎ノ門エリア①「虎ノ門」の地名の由来

『東京探索009』虎ノ門エリア①

「虎ノ門の地名の由来」

予告させて頂いた通り、東京探索「虎ノ門」シリーズを始めます。

「虎ノ門」という地名は、江戸城の南端にあった「虎之御門」にちなんだものです。この「虎之御門」の門址は、霞ヶ関官庁街の南端にある文部科学省の構内に一部が残されています。

明治6年(1873年)にこの門が撤去された後も、交差点名、都電の停留所名、地下鉄銀座線の駅名として「虎ノ門」が使われていました。

地名として「虎ノ門」が使われたのは昭和24年(1949年)、現在の虎ノ門一丁目の一部が「芝虎ノ門」となったのが最初です。昭和51年(1976年)の新住居表示実施に際して、芝琴平町、芝神谷町、芝西久保一帯が「虎ノ門」(一丁目~五丁目)となり、現在に至っています。

「虎之御門」の名前は、「玄武、青龍、朱雀、白虎」の四神相応(しじんそうおう、中国の陰陽学の原理)の思想に基づいた江戸城の設計計画上、右=白虎の方向に位置していたためだという説が有力です。この「白虎」には江戸城の「裏鬼門」にあたる方位を守るという意味が込められているとも考えられます。写真は、虎ノ門の金刀比羅宮(ことひらぐう)の鳥居で、右下が「白虎」の彫刻です(玄武、青龍、朱雀も施されていますが)。

ところで、虎ノ門は江戸城の南に位置しているのに、なぜ「右」なのでしょう?

それは、江戸城建城に際しては、富士山を北の山、太平洋を南の海、隅田川を東の川と見立てたため、虎ノ門が西を守る「白虎」の位置にあたるからだと考えられます。そういえば、古地図ではしばしば、「御城」という文字が東を上に書かれていますね。

ほかにも、太田道灌が「千里行って無事に千里帰る」と言われた虎にちなんで名づけたという説、朝鮮から虎を連れてきた際に巨大な檻を入れるため門柱を広げたからという説、門内の内藤家屋敷に「虎の尾」という桜の木があったからという説など、諸説あります。

この「白虎」にまつわる話は、のちほどまた、別の形でご紹介したいと思います。

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